いとたけ考 6月
みなさまこんにちは。会長です( ˘ω˘ )
いかがお過ごしでしょうか?
あっというまに5月も終わってしまった感じがしますが、新歓もほぼひと段落し、ようやく落ち着くかなぁと思う間もなくテスト期間。
千葉大学では去年からターム制になり、今は期末テスト期間なのです( ◠‿◠ )
それは置いておいて、新歓を経て紫千会も全員で84人という、とても規模の大きいサークルに成長しました。
先日は新歓ハイクとして大きな公園にバーベキューに行きましたが、楽しい楽しい!
バーベキューの時間までは広場で警ドロをやったんですよ。あ、これ地域によって名前が違うみたいですね。僕の出身小学校では警ドロでした。知らない方のためにどんなのか説明しますと、要は鬼ごっこです。
何年ぶりですかね…?たぶん小学校以来かな。それでも楽しいものは楽しい!
今まではインドアイベントが多かったうちのサークルですが、新入生とてもアクティブでした~!
若い人には負けない!と無茶した結果、案の定翌日筋肉痛でした。_("_´ω`)_ペショ
さて、今月の話題ですが、まずはこちらをご覧ください。
能面です。いきなりなんだよ!って感じですよね…
というか、じっくり見るとなかなか怖いもんです。
余談ですが、2枚目の般若のお面、うちにあるんです。妹が僕に修学旅行のお土産に買ってきたんですよ。意味が分からなかったですね。
で、なんで能面を出したかといいますと、古典曲の中には能と同じ題材のものや、能から生まれた曲がとても多いんです。今月はこのテーマを掘り下げていきたいと思います。
ですが、僕能についてはほとんど知識がないのです。つまり
アイドンノウ(能)!なんちゃって…(^^;
いつか生で見て見たいんですがね~
千葉大に能のサークルがないのも残念です。
古曲と同じタイトルや内容の能は、例えば
桜川、葵の上、小督、西行桜、俊寛、石橋、道成寺、熊野などなど
小督は先月お話ししましたね~
能由来の曲は僕の好きな曲であることも多く、なかでも融という曲が好きです。
融。
読めますか…?
これで「とおる」って読むんです。
これ実は人の名前なんですね。
↑この人です。正しくは源融っていいます。平安時代の人で、左大臣でした。
実は光源氏のモデルともいわれています。
この融の話、けっこうおもしろいのです。
能でのあらすじはこんな感じ。
ある晩、旅の僧が六条河原の廃墟を訪れると、潮汲み桶を持った老人が現れる。海もないのにどうしてそんなものもっているのかと尋ねると、ここが融の旧屋敷で、生前融は宮城県塩釜の美景を庭に再現し、海水を運んで塩まで焼かせていたという。しかし、融の跡継ぎはおらず*1、今ではすっかり荒れてしまったことに老人は涙を流した。
その老人は僧にいろいろ案内したあと、潮を汲みながらいつのまにか消えます。
そこにやってきた近所の男は、さっきの老人は融本人の霊ではないかと僧に教えた。
すると、そこに生前姿の融が現れます。月の光に照らされながら、生前のように舞を舞うなど遊興をして、明け方月に帰っていく…という話です。
死生観や諸行無常などいろいろなものが詰まってますよね。また、生前の生活への未練といいますか、そういうものも感じられます。
古曲では同じ「融」というタイトルで、作曲は石川勾当。難曲ばかりを少量残して、しかも生没年不明という謎多き人です。融は八重衣、新青柳と並ぶ石川の三つ物とされていますが、演奏される機会は3つの中では少ない方です。
演奏時間も30分弱という、古典の中でも大曲で、歌詞は能の融からほとんど移植したようです。曲の途中にメロディーを伴わない歌だけの部分の語りがあって、ここはまさに能を彷彿させます。生田流でも九州系、富筋、宮城と系統によって歌い方も違うので、聴き比べるのも面白いですね。
尺八は前弾き~前唄~手事まで二尺管を使います。前唄はとても低いんですよね。手事の途中で一尺八寸管に持ち替えて、以降最後まで使います。この持ち替えも一瞬でやらなければならないので、尺八奏者の腕の見せどころでもあります。
石川勾当の曲はやはりどれもむずかしいですが、融も特に手事のところが難しく、石川作品に多い手事の緩急あるフレーズも合わせるのが難しそうです。
長い曲なのでなかなかなじむのが大変ですが、歌詞の意味や背景などを考えて聴いているうちに、とても聴きごたえのあるいい曲だということがわかってきます。
僕も楽譜を手に入れたかったのですが、発行元が在庫切れ状態で、手に入れる手段が今のところ見つかりません…
ふた月連続で曲紹介になりましたが、こういった曲に少しでも興味を持っていただけたら幸いです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
(参考文献)
村上湛 能の見どころ p44~47 東京美術 2007年