第2回定期演奏会
天気予報が外れてずぶ濡れになったとき
胃がキリキリと痛むような不安が募ったとき
遠方に出かける前、浮き立つような気持ちになったとき、
音楽が隣にいてくれるとなんとなく落ち着く気がする尺部長です(^O^)
ずいぶんご無沙汰してしまいました。最後に書いたのは……4月………。2年生になったばかりだ…時間が経つのは早いですね。
さて、今日は今月19日に行われた第2回定期演奏会についてお話しさせていただきます!曲のレポは書くのに体力がいるので今はそっと流しておこう…
この定演で一番感じるのはやっぱり『成長』です。
私は今年は青葉之賦、アップトゥデイト、陰陽句の3曲に出演させていただきました。去年は六段の調の1曲しか出なかったのに比べれば、練習だけでてんてこ舞いです…!正直、3曲すべて手が回せていたかはわかりませんが、できる限り全力で、取り組めたと思っています!結果、去年の定演の時よりも、新人演奏会の時よりも、一緒に演奏するメンバーと深く話し合ったり、お互いに聞きあったり(時には険悪になったり笑)しながら、今までで一番『音楽を作っている』という実感が持てた気がします。部員との中も深まったし、何より楽しいのが一番ですね!!
そしてやはり、青葉之賦の演奏は私の中で大きな出来事でした。この曲は、パンフレットにもある通り、4年生と2年生のタッグなわけです……2年生は絶対失敗できないぞ…!!本番では貫禄のある先輩方の音を聞きながら、緊張しつつも気持ち良く吹くことができてほんっとうにいい経験になりました!!緊張したのは辛かったけれど、あの瞬間をずっと繰り返していたい……楽しかった……一緒に演奏してくださった先輩方、箏のお2方、ありがとうございましたm(_ _)m
たくさんの経験を通して、技術的にも精神的にも、成長できた定演であったのですが一番心に残っているのは、音楽のあり方って人それぞれだな、ということです。
練習でストイックに突き詰めていく人、楽しく合奏がしたい人、好きなフレーズを聞いていたい人、もはや演奏しなくても生活のBGMとして音楽があればいい人。この定期演奏会に向けて練習していく中でいろんな人の音楽に対する向き合い方に触れて、最初はすごくショックでした。こんなにバラバラな感性の人たちが集まって合奏なんてできるはずがない……
でも、だからこそ自分では気づかなかった点に気付いたり、こういう聞き方があるのかと勉強になったり……そしてこれは私の知る「部活」では考えられない勉強の仕方だと思うのです。
音楽ってそんなに頭の固いものじゃないってことと、「サークル」というものの良さを改めて知りました。
なんだか初めて真面目な記事を書いたと思ったら最後の方ようわからんことになってしまった…何について書いてたんだっけ??(A.定演です。)
とにかく、たくさんお世話になった紫千会の皆さん、先生方、そして定期演奏会を聴きに来てくださった皆様、本当にありがとうございました!
いとたけ考 11月 記念樹と都の春
11月になりまして、すっかり秋めいてまいりました…といいたいところですが、ここ最近「秋」が瞬く間に過ぎてしまうように感じます。
今月の18日は「著作権の日」だそうで、何かと話題のジャスラックの創立日みたいですね。
ここ最近「著作権」がうるさい時代ですが、これってどうなんでしょうか。
著作権や特許権などを総称して「知的財産権」といいますが、要は財産的な保護を与えるものです。著作権は死後50年間保証されます。
で、なんで法律で保護するのかというと、著作物が財産的価値を持つ以上、簡単にまねされると創作への投資資金を回収できないことや創作自体が行われにくくなってしまうことが予想されるようです。
世の中やはりお金なんですなぁ…
僕は素人なので法律論は述べられませんが、この保護に対する副作用ってあると思うんですよ。
それが「記念樹事件」(東京高判平成14・9・6)です。
この事件はドラマのエンディングとして1992年に書かれた楽曲「記念樹」がすでに出回っている「どこまでも行こう」という曲の盗作であるとして作曲者が作曲者を訴える、という事件です。(民事事件なので、原告は著作者人格権の侵害による損害賠償を請求しました。)
結果としては、裁判によってパクリが認められ、判決確定の2002年以降、この曲は使用禁止及び公の場所で歌うことすら禁止になりました。
この記念樹という曲ですが、卒業ソングでもあり、僕も小学校2年生の時に歌いました。(ちなみに僕が小2の時は判決確定後ですが、田舎だったためか、まだ出回っていたようです。)
小学校低学年で歌った曲なんてほとんど覚えていませんが、いい曲だったので、記念樹は覚えています。
先日複数の友人に記念樹を知っているかどうか聞いてみましたが、95%は「知らない」とのこと。やはりこの世から消されてしまっていたのでした。
音楽での著作権問題って、コードとかの制約である程度似てしまうのは許容されるようですけどね。難しい。
結局、「記念樹」は著作権に殺されてしまったわけで、ある曲を保護するためのその裏側で別の曲が殺されることが起こりうるわけです。
なんだかなぁ…
こういう事件があると、現代において「パクリは悪」という認識が一般化しているように感じますが、かつては「パクリこそ善」という価値観があったと思います。
古典曲、特に江戸後期から明治初期にかけての作品は積極的「パクリ」が多くみられます。しかも、原曲作者の死後50年くらいでパクっているものも割りとあり…
「現代だったら訴訟案件やんww」
といった感じです。
でも、当時の音楽は財産としてのものではないですからね。それゆえ、「いいものは使っていこうスタイル」だったんでしょう。和歌の本歌取り然り。
山田流箏曲に「都の春」があります。1890年の現在の東京藝大が開校した時の記念に作られた曲ですが、この曲は明治期の曲ということもあり、本来の山田流の形式から離れ、生田流に近い形式をとります。
で、この曲は多くの曲を「パクって」いるんですね~
まず、前弾きは山田検校作曲「あづまの花」、合の手で松浦検校作曲「深夜の月」、手事で峯崎勾当作曲「残月」のフレーズをそれぞれ組み込んでいます。
面白いなと思うのは、江戸山田流の祖である山田検校、京流手事物の第一人者である松浦検校、大坂系の頂点である峯崎勾当と、江戸・京・大坂を代表する作曲家の曲を織り交ぜているところです。
藝大の開校記念曲としてふさわしい組み込み方だと僕は思います。
曲に組み込むことで先人への敬意になり、また例え原曲が廃れてしまってもパクリ先で生き続けることができる。
三味線組歌を「パクった」曲も多いですが、今ではあまり演奏されない組歌が別の曲の中で生きている典型的な例といえると思います。
こうして考えると、パクることが即ち悪というのは極端な気がしてきます。芸術性を優先にするならパクることも善いことである、というかつての価値観がわかってくる気がします。
そう思うと、記念樹が消えてしまったことがますます悔やまれてくるのです…
千葉大祭について
どうも、こんにちは1年三絃の広報部 杏奈です。紫千会のブログ記事を書かせていただくのは初めてで緊張緊張😩
これまでの記事を拝見させていただきましたが、会長さんがすっごく真面目ですっごくマニアックですっごく電車ですっごく和楽器な話をたくさんされていて、もう何をどう書けばいいのかわからんです、杏奈です。覚えてください、杏奈です。
とりあえず今回は大学祭についてのお知らせを✉️
11月2日〜5日の4日間、千葉大学では大学祭を開催。2017年の紫千会は会員数も増えたということで模擬店&演奏会&体験会をします‼︎
模擬店では紫千会は和楽器サークルということで「和」をテーマにしたものにしようということになり、部員でアイデアを出し合い「お団子」を売ることに決定致しました🍡
↓↓↓当日のメニュー↓↓↓
・お団子
*黒蜜きな粉 *ごま *さつまいも
・甘酒
・ソフトドリンク
*紅茶 *綾鷹 *オレンジジュース
10~17時半の間、千葉大学総合校舎(G5)の前にテント出店します。
教室(G5-22)前の廊下で販売もします。
教室(G5-22)では体験会(10~12時,15~17時)、演奏会(昼時が終わり次第、演奏開始の予定。12~15時)を行う予定です。
詳しくはまた後日、このブログやTwitterの方でお伝えします。それでは皆さんさようなら。杏奈でした。
いとたけ考 10月 六段の考察
こんにちは。
とうとう10月になり、明日から授業が再開します。
3回目の夏休みでしたが、相変わらず過ぎるのは速いものです。
さて、今日10月1日は東海道新幹線の開業記念日でありまして、今年で53年目。
紫千会は前身の竹葉会から通算して57年目になり、実は新幹線よりも年上なんですね。
50年以上の歴史というのはなかなか重いものですが、この先も50年、100年と続いていくようにしっかり頑張らねばと、改めて身の引き締まる思いです。
サークル行事では先週5泊6日の山中湖合宿に行ってきたところですが、OBさんたちも合わせて50人近くが合宿をするのはおそらく初めてでしょうか。にぎやかでとても楽しかったです。
とはいえ、合宿中は猛練習と睡眠不足で帰ってきてから体調を崩す会員もちらほら…
かくいう僕もちょっと風邪ひきました。(笑)
この時期の体調管理は大変ですね~
ところで、合宿では一年生が六段の調を一生懸命練習していました。
多くの大学で1年生は六段の調を定期演奏会で演奏することと思います。
六段ばかり練習していると正直飽きるかもしれませんが、実はこの曲はなかなか味わい深い。
改めて六段の魅力を考えてみたいと思います。
六段の調の作者は八橋検校である、というのは多く知られているところだと思います。
八橋検校は江戸初期に雅楽の楽器の一つだった箏を、現在のように一つの楽器として新たなジャンルを築いた人です。
八橋作品は、琵琶法師のように歌の伴奏楽器として箏を用いる「組歌」と、六段のように歌のない器楽曲である「段もの」とに分けられますが、この段ものの「器楽性」は現代曲に相通じるところがあって、これが約300年前に作られたのかと思うとすごくないですか?
当初は独奏曲でしたが、のちに箏の替手が作られて二重奏できるようになったり、三味線や尺八の手も付けられて合奏曲としても演奏されるようになって今日に至ります。
合奏での六段だと、他の楽器に合わせる都合上、箏だけの時より調絃は低い調子に合わせます。
私自身は、もともと箏のために作られた曲なのだから原キーでやるべきなのでは?
と最近考え、箏と合奏するときは箏を原キーのまま、尺八の長さを変えたり、手付を変えてみるなどして新しい試みをやってます。
また考えが変わるかもしれませんが…(笑)
六段の隠れた魅力として、他には、「いろいろな曲にこっそり登場する」というのがあります。
山田流「ほととぎす」や生田流「秋風の曲」では実は六段と合奏できるように作られていています。他にも六段と合奏できるようになっている曲はいくつもあります。
基本旋律は全く六段をイメージさせませんが、合わせてみると所々旋律が重なり、なんとも不思議な感覚になります。
六段の旋律には、実はいろいろな他の旋律も隠されている…
この曲がなかったら生まれていない曲も多いことでしょう。
シンプルな旋律ゆえに変幻自在なのかもしれませんね。
ということで、今回は六段についてでした。