千葉大学「紫千会」のブログ!

千葉大学和楽器サークル「紫千会」のブログです。部員みんなで書いているので、ぜひ見てくださいね!

いとたけ考 11月

寒くなってきましたね。いよいよ今月が定期演奏会となります…

以前にもお伝えしましたが、今回の定演の一番の見どころは1年生の六段の調ですね!ホール下見の結果、約30人がちゃんと舞台に載れることが分かり、初々しい大合奏をお届けできます!

実際2年生以上の人数より1年生のほうが多いので、大合奏は1年生で名乗る方がふさわしい気もしますね…

1曲目ですが、ぜひ最初から迫力ある合奏をお楽しみいただければと思います。

さて、パブリックな宣伝はこのくらいにして、今月は何を書こうかなぁ~と考えていたら、自分は尺八なのにあまり尺八について書いてない気がしたので、この方向で行こうかなと思い立ちました。

いきなりですが、「地無し尺八」をご存知でしょうか?

なかなかマニアックなものだと思います。おそらく初めて聞いた方も多いのではないでしょうか。

尺八は竹の節を抜いた後、砥の粉などで内側を盛り(これを地を盛るという)、凸凹を均すとともに調律も行います。尺八が鳴る楽器か鳴らない楽器になるかはこの作業で決まるわけです。この工程の後、漆を塗って仕上げる感じになります。

お気付きな方もいらっしゃると思いますが、地無し尺八はこの超重要な「地を盛る」作業を施していない尺八のことなのです。

そのため普通の尺八に比べ機能性はかなり劣ります。調律もしてませんから合奏は出来ません。音を鳴らすのも吹き方を少し変えないといけません。吹いてみた感想としては鋭く吹こうとすると音すら鳴らない。口をほの字にして優しく息を吹き込むことで初めて対話ができた気がしました。

地無し管はとても素直な音がします。まさに竹の音といった感じです。

そもそも地無し尺八は江戸時代に虚無僧が用いていた楽器ですから、正真正銘古典本曲専用なわけです。(というか、それ以外には使えません…)

ちなみに虚無僧の古典本曲は、琴古流本曲よりもさらに古いくくりとされています。

この地無し管で奏でる柔らかい音色は、A=442Hzで調律された現代楽器に慣れた身としてすごく新鮮に思え、またどこか惹かれる音です。

興味を持たれた方はぜひ地無し管の音色を聴いてみてください。

 

 

いとたけ考 10月

早いものでもう10月です。秋も深まってきましたね。

紫千会では定期演奏会に向けて徐々に緊張感が高まってきています。特に1年生は30余人という大人数にもかかわらず、例年よりも早く仕上がっているように思えます。みんなとても熱心で、先輩としてもうれしく思います(^^)

秋は他の大学さんも定演ラッシュです。大学だけではなく、プロの演奏会も秋は多いです。出る側として、とても忙しい時期ですが、この時期は一つでも多くの演奏会に足を運びたいものです。プロの演奏会でも学生の演奏会でも、とにかく行ってみることをお勧めします。

学生の立場からすると、同じ学生の演奏会を聴きに行くのはとても刺激になります。また、プロの演奏会は学生のうちにぜひたくさん行っておくべきです。

なぜか。

演奏会は大抵平日の夜に開かれることが多いです。社会人になってしまうと、平日はなかなか時間が取れないでしょう。僕も父を見てるとわかります。学生のうちなら割と自由な?時間帯ですよね??

さらにですね、学生なら安いんですよ~。学生料金だと半額になることが多いので、1000円から、高くても3000円くらいで聴きに行くことができます。演奏会の相場は3000円~5000円といったところでしょうか。

よく考えてください。JRの学割は2割引き、ラーメン屋とかの学生特典はせいぜい大盛り無料くらいです。学生で半額扱いになるサービスなんてなかなかないですよ!この機会を無駄にしてはもったいないじゃないですか!

 

そして何よりも演奏会は学ぶことが多いのです。自分が習っている先生が出る演奏会に行くとよくわかります。お稽古ではどうしても生徒さんの力量にあった指導になるので、すべてを習いきるというのは時間が必要です。ですが、演奏会ではプロの本気の演奏が見られるので、僕は演奏会こそがもう一つのお稽古だと思っています。演奏会で学ぶもの、盗めるものがとても多いということを去年何度か行った演奏会で実感しました。

先日もひっさびさに演奏会を見に行ってきましたが、ただ「いい演奏だなぁ」と感心するのではなく、演奏時の姿勢や指使い、技法などに注目して聴いていると面白い発見があったりするもんですね!

このように秋はプロからの刺激とともに、同じ学生同士からの刺激をもらいにいろいろな演奏会に行きたいですね!

という感じで、この秋は演奏会に行ってみようということを長々と述べてきましたが、僕が何言いたいかわかってきたでしょうか。

 

 

千葉大定期演奏会に来てくださいね~!(^_^)/

千葉大学「紫千会」第1回定期演奏会 11月19日土曜日、美浜文化ホールにて

 

 

富士山と湖と尺八と(2016年夏合宿記録)

こんにちは!ゲームをやるのにゲームBGMが「目的」と化しているまめこっこです。

今回は、つい先日の9月15日から20日までの期間に行った夏合宿の模様を書いていきたいと思います。

今年の合宿場所は山中湖です。去年は河口湖でしたから、またもや富士五湖に来たわけです(おそらく来年もですが)まあいい場所だから、何度来ても飽きませんね。

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しかし、あいにくのどんより天気!

この合宿中はず~っとこういう天気が続くことになります。雨、曇り、豪雨…等々。

九月の雨~は冷たくて~♪ 冷たすぎます・・・

まあ平日なので渋滞とかにはハマらず、無事に到着しました。今回お世話になる宿は夕映さんというところです(料理がマジでおいしかったです)

近くにある湖畔は尺八を吹くのに絶好のポイントです。

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富士山を望みながら尺八を吹く…そんな、高貴すぎます!

たまたま朝いい天気だったんですよね。今回のベストショットです。個人的に。

さて、基本的には日中は延々と尺八の練習をすることになります。尺八部の一年生は、今年は「六段の調」死ぬ気で練習中です。なにせ夜には一人ひとり六段を吹くテストがあるものですから、みんなマジでやってます。

f:id:chikuyoukai:20160925232240j:plain↑死ぬ気でやっているから、死んでいるんです笑

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↑箏と三味線もまじめにやってます。実際に見てないのでよくわかりませんが…

こんな感じで、お稽古も交えながら6日間を過ごしていくわけです。ホント、タメになりますねえ。しかしはちゃんと遊びます。

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こんな感じで、花火をしたりコンパをしたり…昼まじめにやっている分、解放感があって皆はっちゃけてましたね!とにかく今年は人数が40人以上もいるので、何をするにも盛り上がっていいですね(*'▽')

例年は、夜のお遊び以外にも半日レクリエーションの日があるのですが、今年は雨があまりにもひどかったので中止です(´;ω;`) ボートに乗る予定だったのにね…

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あっという間に合宿は過ぎ去っていき、最終日の前夜、尺八部一年生たちは箏・三味線と合わせて吹くことに!写真に写っている尺八部の皆さんだけでもかなりの人数なのに、これに箏三味線の人が20人くらい加わります。圧巻ですね。人数が多いのはいいことだ(*^^)v

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↑一年生だけでパシャリ。一年生だけでこの人数です。(ちなみに今回来れた上級生は10人くらい)

そんなこんなで、無事合宿を終えることができました。みんな相当実力を伸ばすことができたに違いありません来る11月19日の定期演奏会(ちょい宣伝)、培った実力をいかんなく発揮してもらいたいですね~

・・・なんか他人ごとみたいに言ってますが、自分も「トワイライト・セイリング」で出ます。しかし今年、なんと定演前日の18日まで教育実習という重大な任務がありますので、10月に入るまでには一通り仕上げるべく絶賛練習中です。頑張って練習しておくので、ぜひ聞きに来てくださいね。

それでは(@^^)/

(箏・三味線部の皆さん、写真とか話とか少なくってゴメンね)

いとたけ考 9月

こんにちは。今月も残すところあと28日ですね。この時期になると徐々に演奏会シーズンに入っていきます。千葉大学紫千会も11月19日土曜日に定期演奏会が行われます。(まだ先ですね~)今回は改名により、カウントリセットし、第1回定期演奏会として行います!今年の見どころは30名以上入ってくれた1年生による六段の調大合奏です。かつてない規模なので、とても楽しみですね。(ただ、舞台に乗りきらないときは2つに分ける可能性もあるとかで…)それ以外の曲では、2年合奏で京鹿の子娘道成寺、大合奏で四季彩、個人曲では八千代獅子、萌春、舞踏曲…etcといった感じです。

さて、宣伝(笑)が終わったところで、今月の話題ですが、先月はふざけてしまったので真面目に行きたいと思います(笑)。

先日、友人と話していて面白いことを言われました。

「音楽は手段なのか、目的なのか」

これについて答えはありません。どちらも当てはまりますからね。

考えれば考えるほど深い問いではありませんか?

尺八を例にとって考えてみましょう。

手段としての音楽、これは江戸時代に禅宗のひとつである普化宗で虚無僧が吹いていた曲が当てはまると思います。吹禅といって曲を吹くことでお経を読んだり、座禅を組んだりすることと同義としていました。この場合、音楽は吹禅のための「手段」として使われていることになります。(少なくとも虚無僧は尺八演奏家ではないですからね)尺八も楽器ではなく、「法器」とよばれ、木魚などと同じような、吹禅のための道具に過ぎません。

虚無僧たちによって吹かれていた本曲は明治維新後の普化宗廃止後も研究家や演奏家によって集められ、守られながら現在まで残っています。

現在では虚無僧本曲も演奏会で演奏され(というか吹禅で使われることはまずないでしょう)、その独特な音楽性で立派な舞台音楽の仲間入りをしています。観客は曲を聴くために会場にやってきます。つまり現在では虚無僧本曲は「目的」としての音楽に変わったのです。

同じ曲で時代で「手段」として使われたり「目的」として使われたりする例はおそらくまれではないかと思いますが、西洋の教会音楽も虚無僧本曲と同じですね。もともと宗教音楽だったものがこういった経緯をたどるようです。

客観的な見方としては今挙げたものですが、主観的な例はもう少しあると思います。

例えばゲーム音楽もただのBGMだと思えばゲームを盛り上げさせる「手段」に過ぎませんが、その曲が好きでゲームをする人もいるでしょう。これはゲーム音楽が「目的」になってますよね。駅の発車メロディもただの乗降促進音楽と考えれば「手段」ですが、僕のようにそのメロディを聴くために旅に出る人もいます。実際発車メロディを集めたCDも多く発売されているので、人によっては立派な「目的」としての音楽といえますよね。

このように人によって受け取り方が違うのもまた面白いですね。

暇なときに自分は音楽をどう捉えているか考えてみるのもいいと思います!