千葉大学「紫千会」のブログ!

千葉大学和楽器サークル「紫千会」のブログです。部員みんなで書いているので、ぜひ見てくださいね!

ご挨拶

初めまして!私はこのブログでは初めて記事を書かせていただきます公文というものです。以後よろしくおねがいします。

なお、よく勘違いされるのですがこの名前はあだ名でもなんでもなく本名ですのでそこのところお間違えないようにお願いします。某学習塾とは全くもって関係ございません。

私はこの一年七夕コンサートの企画と大祭の企画の責任者を担当させていただきました。大祭にお越しいただいた方はありがとうございました。思った以上に演奏会の方にお客さんが来てくださって驚きました笑 お団子と甘酒も想定以上の売れ具合でこちらも驚きました。(利益は出せませんでしたが・・・)

なかなか大変ではありましたが、一年生同士の交流も促進できて、普段めったにない一般のお客さんの前での演奏機会も用意できたので総じて良い大祭だったのではないかと個人的には思っております。

 

さて、前置きが長くなってしまいましたが、本題に入らせていただきます。

先日第二回定期演奏会が無事に終了し、12月9日に代替わり総会を迎え、この度私公文が第三代紫千会会長に就任させていただきました。皆様宜しくお願いします。

時間が経つのは早いもので、この会に入って一年経って後輩ができたと思ったらあっという間に代替わりを迎えて来年の新歓について考え始めているわけです。ナンテコッタ

会長も初代から二代目に、そして三代目になったわけですが、私は先代までと違って濃いキャラクターは持ち合わせておりません笑 ですが、この会のことが好きなので先代同様この会がさらなる発展をしていけるように尽力していきたいと思っています。

 

現在休会も含めると80人ほどの会員が在籍しておりますが、来年はこの2年間のペースでいくと100人弱の規模になると予想されています。そこら辺の中小企業よりは人がいるんじゃないでしょうか・・・。これほどの人数が集まると演奏に対する考え方も人それぞれで、別の人の考えを良くは思えないって人も出てくるかもしれません。

ですが、紫千会という名前は色とりどりの花が咲き乱れた情景や様々な色彩の様子を表した「千紫万紅」という言葉から来ており、ここでの色とりどりの花とは部員一人一人の考え方、活動の仕方を指しています。

部員一人一人が好きなように和楽器と触れ合っていく。下手でも、たまにやる趣味程度の考えでも、人生を捧げるほどの生きがいだろうと、その人が思うように和楽器を楽しめるようなサークルである事を望んで、先代はこの四字熟語からこの名前をつけました

。なので他人の和楽器に対する姿勢は尊重されるべきであり、それを良しと思えない時も決して頭ごなしに否定するだけではなく、お互いにそれを受け入れて違った彩を目指せるのが理想的、ということです。(大変ではありますが笑)

 

私はこのすばらしい思想を受け継ぎ、可能な限り各々が和楽器を通じて素敵な大学生活を送れるようなサークル運営をしてければいいなと思っております。

といったところで挨拶の方はここまでにしたいと思います。

 

会長としていたらない点は沢山ありますが、これから一年間、紫千会共々見守っていただけると幸いです。改めまして、宜しくお願いします!

 

 

 

いとたけ考 12月 独奏曲との闘い

2017年も残すところ1か月を切り、なんだかあっという間の1年間でした。私にとってこの一年、会長として仕事をさせてもらいましたが、日々学ばされることばかりで、気が付けば今週末には退役です。仕事としては定期演奏会で大方終わりではありますが、気持ちの上では定演が終わってもまだまだ気を抜けないものですね。

定演で後輩たちの演奏を見ていて、去年六段の調の暗譜を必死に頑張っていたのが、2年合奏、大合奏、尺八だと尺重奏でのソロ、人によっては個人曲と、立派にこなせるようになっていて、一年間は決して無駄じゃないなと感じました。

 

さて、今月のタイトルは「独奏曲との闘い」とさせていただきました。

尺八やってるって言うと、よく「何か吹いてください♪」と言われますが、私にとっては意外と悩ましいお願いでした。

というのも、私の場合、縁あって小さい頃から尺八を手にしていますが、今までずっと箏や三味線との合奏曲ばかりやっており、尺八の独奏曲をやったことがなかったのです。

高校までは知人に合奏相手などおらず、「何か吹いてください♪」に対して、春の海とかの尺八の部分を独奏曲面して吹いていました。その度に、もの悲しさを覚えたものです。

大学でサークルに入って多くの合奏相手ができ、それまでの悩みは自然と無くなっていきました。

しかし、この一年で依頼演奏や部内コンサート、大学祭など、サークルの演奏機会が増え、合奏のネタ切れやスケジュールの都合で合奏相手が見つからない事態が起こり、「何か吹いてください♪」の悪夢が再びやってきたのです。

このままではいかん。そう思い、夏合宿で先生に独奏曲のお稽古をつけていただけませんかとお願いしました。曲は山本邦山先生作曲の「甲乙(かんおつ)」でした。

この曲は古典尺八のような渋い、落ち着いた部分と、西洋音楽的で現代的な速い部分とでなっており、なかなか難しいものでした。実際、何週間かぶりに吹こうとすると指が回りません(笑)

指を動かすだけでも苦労しましたが、それ以上に苦労しているのは、この曲を全く「聴かせられる」ようにならないことです。こちらは現在進行形で、まだ納得がいったことはありません。

独奏曲を「聴かせる」にはテクニックは当然ですが、「間」「強弱」「緩急」「抑揚」など、すべてを満足にしないといけません。

合奏曲では尺八はメインである「歌」や箏三味線の音を引き立てるために「きれいに」吹く必要があります。ここでいう「きれい」というのは音がきれいとかではなくて、フレーズのまとめ方や音の処理の仕方などを指しますが、要は「お淑やか」である方がいいと思います。

合奏曲ばかりやってきたせいで、独奏曲も同じように吹けばきれいに聞こえるだろうと思っていましたが、初めて自分の「甲乙」の録音を聞いたときはあまりに大人しくて面白みのなさに独奏曲の難しさを痛感しました。

独奏曲は尺八がメインなんだから、合奏曲と同じ吹き方じゃ大人しく聞こえてしまう。だからと言って、大音量で吹くとか、装飾音を入れまくるとか、そういうものでもないな…

答えが見つからずにいました。

 

そんなある時、演奏会で聴いた独奏曲にものすごく痺れたことがありました。なぜ痺れたのかといえば、会場全体が曲の持つ「緊張感」に包まれていたんですね。そういえばと思って自分の持っているプロの音源で気に入っているやつをいくつか聴きなおしてみましたが、やはりそれらは「緊張感」を持っていました。

曲の持つ緊張感って何だろうと改めて考えてみました。やはり以前書いた「間」も関係しますが、間以外にも尺八の場合は音によって音色や音量が違うので、その組み合わせを考えることなのでは?とも思いました。

前後の音を考えて、その音のバランスやその音への装飾音を入れるか否かを判断するのは合奏曲でも同じですが、合奏曲ではきれいになるようにやっていたのを、独奏曲の場合にはあえてきれいにせずに少し変化をつけることで緊張感を生み出せるのではないかということです。

といっても、これが答えなのかなぁ…よくわかりません。少なくともこれだけではないとは思います。

それだけ独奏曲は奥が深いものなのですね。

大学生活の残りでもう少し見つけられるといいのですが…

 

会長としてブログを更新するのはこれが最後になります。

会長引退と同時にこの毎月の更新もバトンタッチしようと思っています。

毎月お付き合いくださいまして、本当にありがとうございました。

それでは、またいつの日かお会いしましょう。

 

 

 

第2回定期演奏会

 天気予報が外れてずぶ濡れになったとき

 胃がキリキリと痛むような不安が募ったとき

 遠方に出かける前、浮き立つような気持ちになったとき、

 音楽が隣にいてくれるとなんとなく落ち着く気がする尺部長です(^O^)

 

 

 ずいぶんご無沙汰してしまいました。最後に書いたのは……4月………。2年生になったばかりだ…時間が経つのは早いですね。

 さて、今日は今月19日に行われた第2回定期演奏会についてお話しさせていただきます!曲のレポは書くのに体力がいるので今はそっと流しておこう…

 

 

 

 この定演で一番感じるのはやっぱり『成長』です。

 私は今年は青葉之賦、アップトゥデイト、陰陽句の3曲に出演させていただきました。去年は六段の調の1曲しか出なかったのに比べれば、練習だけでてんてこ舞いです…!正直、3曲すべて手が回せていたかはわかりませんが、できる限り全力で、取り組めたと思っています!結果、去年の定演の時よりも、新人演奏会の時よりも、一緒に演奏するメンバーと深く話し合ったり、お互いに聞きあったり(時には険悪になったり笑)しながら、今までで一番『音楽を作っている』という実感が持てた気がします。部員との中も深まったし、何より楽しいのが一番ですね!!

 

 そしてやはり、青葉之賦の演奏は私の中で大きな出来事でした。この曲は、パンフレットにもある通り、4年生と2年生のタッグなわけです……2年生は絶対失敗できないぞ…!!本番では貫禄のある先輩方の音を聞きながら、緊張しつつも気持ち良く吹くことができてほんっとうにいい経験になりました!!緊張したのは辛かったけれど、あの瞬間をずっと繰り返していたい……楽しかった……一緒に演奏してくださった先輩方、箏のお2方、ありがとうございましたm(_ _)m

 

 たくさんの経験を通して、技術的にも精神的にも、成長できた定演であったのですが一番心に残っているのは、音楽のあり方って人それぞれだな、ということです。

 練習でストイックに突き詰めていく人、楽しく合奏がしたい人、好きなフレーズを聞いていたい人、もはや演奏しなくても生活のBGMとして音楽があればいい人。この定期演奏会に向けて練習していく中でいろんな人の音楽に対する向き合い方に触れて、最初はすごくショックでした。こんなにバラバラな感性の人たちが集まって合奏なんてできるはずがない……

 でも、だからこそ自分では気づかなかった点に気付いたり、こういう聞き方があるのかと勉強になったり……そしてこれは私の知る「部活」では考えられない勉強の仕方だと思うのです。

 音楽ってそんなに頭の固いものじゃないってことと、「サークル」というものの良さを改めて知りました。

 

 

 なんだか初めて真面目な記事を書いたと思ったら最後の方ようわからんことになってしまった…何について書いてたんだっけ??(A.定演です。)

 

 

 とにかく、たくさんお世話になった紫千会の皆さん、先生方、そして定期演奏会を聴きに来てくださった皆様、本当にありがとうございました!

いとたけ考 11月  記念樹と都の春

11月になりまして、すっかり秋めいてまいりました…といいたいところですが、ここ最近「秋」が瞬く間に過ぎてしまうように感じます。

今月の18日は「著作権の日」だそうで、何かと話題のジャスラックの創立日みたいですね。

ここ最近「著作権」がうるさい時代ですが、これってどうなんでしょうか。

著作権特許権などを総称して「知的財産権」といいますが、要は財産的な保護を与えるものです。著作権は死後50年間保証されます。

で、なんで法律で保護するのかというと、著作物が財産的価値を持つ以上、簡単にまねされると創作への投資資金を回収できないことや創作自体が行われにくくなってしまうことが予想されるようです。

世の中やはりお金なんですなぁ…

 

僕は素人なので法律論は述べられませんが、この保護に対する副作用ってあると思うんですよ。

それが「記念樹事件」(東京高判平成14・9・6)です。

この事件はドラマのエンディングとして1992年に書かれた楽曲「記念樹」がすでに出回っている「どこまでも行こう」という曲の盗作であるとして作曲者が作曲者を訴える、という事件です。(民事事件なので、原告は著作者人格権の侵害による損害賠償を請求しました。)

結果としては、裁判によってパクリが認められ、判決確定の2002年以降、この曲は使用禁止及び公の場所で歌うことすら禁止になりました。

この記念樹という曲ですが、卒業ソングでもあり、僕も小学校2年生の時に歌いました。(ちなみに僕が小2の時は判決確定後ですが、田舎だったためか、まだ出回っていたようです。)

小学校低学年で歌った曲なんてほとんど覚えていませんが、いい曲だったので、記念樹は覚えています。

先日複数の友人に記念樹を知っているかどうか聞いてみましたが、95%は「知らない」とのこと。やはりこの世から消されてしまっていたのでした。

音楽での著作権問題って、コードとかの制約である程度似てしまうのは許容されるようですけどね。難しい。

結局、「記念樹」は著作権に殺されてしまったわけで、ある曲を保護するためのその裏側で別の曲が殺されることが起こりうるわけです。

なんだかなぁ…

こういう事件があると、現代において「パクリは悪」という認識が一般化しているように感じますが、かつては「パクリこそ善」という価値観があったと思います。

古典曲、特に江戸後期から明治初期にかけての作品は積極的「パクリ」が多くみられます。しかも、原曲作者の死後50年くらいでパクっているものも割りとあり…

「現代だったら訴訟案件やんww」

といった感じです。

でも、当時の音楽は財産としてのものではないですからね。それゆえ、「いいものは使っていこうスタイル」だったんでしょう。和歌の本歌取り然り。

山田流箏曲に「都の春」があります。1890年の現在の東京藝大が開校した時の記念に作られた曲ですが、この曲は明治期の曲ということもあり、本来の山田流の形式から離れ、生田流に近い形式をとります。

で、この曲は多くの曲を「パクって」いるんですね~

まず、前弾きは山田検校作曲「あづまの花」、合の手で松浦検校作曲「深夜の月」、手事で峯崎勾当作曲「残月」のフレーズをそれぞれ組み込んでいます。

面白いなと思うのは、江戸山田流の祖である山田検校、京流手事物の第一人者である松浦検校、大坂系の頂点である峯崎勾当と、江戸・京・大坂を代表する作曲家の曲を織り交ぜているところです。

藝大の開校記念曲としてふさわしい組み込み方だと僕は思います。

曲に組み込むことで先人への敬意になり、また例え原曲が廃れてしまってもパクリ先で生き続けることができる。

三味線組歌を「パクった」曲も多いですが、今ではあまり演奏されない組歌が別の曲の中で生きている典型的な例といえると思います。

こうして考えると、パクることが即ち悪というのは極端な気がしてきます。芸術性を優先にするならパクることも善いことである、というかつての価値観がわかってくる気がします。

そう思うと、記念樹が消えてしまったことがますます悔やまれてくるのです…