千葉大学「紫千会」のブログ!

千葉大学和楽器サークル「紫千会」のブログです。部員みんなで書いているので、ぜひ見てくださいね!

旅のすゝめ

こんにちは!

暑いような、そうでもないような日が続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか?

先日、部員の一人が京都で行われた「学生邦楽フェスティバル」に参加してきました。なんと京都まで在来線オンリーで向かったそうです。そんな話を聞いて、旅に行きたいな~という感情が高まるのですが、どうも今年は忙しくて遠出できそうにありません。

そこで、たまには邦楽無関係の紀行文的なものを書こうと思います~

 

関西方面へ鈍行のみで行く人も意外といるのではないかと思いますがどうでしょうか?

特に青春18きっぷのシーズンでは、この切符を使うと1日当たり2360円で移動できるので鈍行旅にはもってこいですね

僕も今までに何度か鈍行旅をやっていますが、一番きつかったのは…西千葉ー高松(香川県)のときと青森ー西千葉のときですかね。初電から終電までの時間乗り続けると、鈍行でも結構移動できるんですよ~.............................ですが、もう一度やろうとは思いませぬ(笑)

 

鈍行も悪くないですが、やはり僕は在来線特急列車を使うのが好きです。新幹線だと距離に対しての移動時間が短いし、トンネルも多いですから景色を見るなら在来線ですね。

 

僕の場合は行きは鈍行を使ってその土地までの距離を、移動時間によって実感するようにしています。

逆に帰りは特急を使って、旅先から急速に現実に戻ることへの感傷に浸ることが多いです。

春に紀伊半島の方へ行きました。

行きは大阪からほぼ鈍行で和歌山県へ向かい、帰りは紀伊半島の端っこ?の紀伊勝浦(熊野古道があるあたり)から名古屋行きの特急「南紀号」と使ったのですが、この南紀号、名古屋行きの場合は前面展望ができる車両が先頭となり、しかも自由席なので始発駅からなら最前列に座れる可能性が高いのです。

しかも紀伊半島の海沿いを走るのでオーシャンビューが何とも素晴らしい。

僕が乗ったのは紀伊勝浦を16時くらいに出発する列車で、名古屋には20時過ぎくらいについた気がします。この列車だとちょうど夕焼けの太平洋を眺めることができます。

ひとりお酒を飲みながら美しい車窓を眺めるのは至福の時間でした。

移動手段と割り切ってしまうと、退屈ですが、移動も旅のうち。夏休み、これから旅に出る方は、ぜひぜひ移動の際の列車も楽しんでいただければと思います~!

 

いとたけ考 8月

こんにちは、会長です。

毎月1日には必ず更新しているんですが、今月は期末試験が今日まであって遅くなってしまいました(^^;

ようやく期末試験が終わったんですよ~(´∀`*)ウフフ

そういうわけでかなりテンション高いです(´∀`*)ウフフ

先月は部内コンサートである「たなコン」が開催されまして、いやぁ楽しかったですね~

たなコンの詳細はおそらく近いうちに他のメンバーが書いてくれると思います(`・ω・´)

というわけで、今月もマニアックなことを長々と書いていくんですが…(笑)

 

 

みなさんは「生曲」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?

”しょうきょく”と読むんですが、おそらく国語辞典にもないと思います。

先日古典尺八のCDを久々に聴こうと思ってジャケットの解説を眺めてたら、生曲って書いてあるのを見つけたんですね。ちなみに”古典尺八”というのは虚無僧が吹禅のために吹いていた曲で、全国の普化宗のお寺にありました。地域やお寺によって伝わり方も違っており、同じ曲名でも全くの別物ということがよくあります。宗教音楽ですからいわばお経みたいなものなんですね。

明治になって政府は虚無僧の普化宗を廃止に追い込みます。これによって古典本曲というのも風前の灯火となってしまいました。

このような状況下で、神 如道(1891~1966)という人が全国の虚無僧のお寺を訪ねて古典本曲を採集し、まとめあげるという偉業を成し遂げたのです。この努力のおかげで、今日でも古典本曲は宗教音楽から舞台音楽に姿を変えて演奏され続けているわけです。

先ほどの「生曲」というのは、この神如道氏の造語です。神如道氏は古典本曲を集める傍ら、自らも古典本曲を作りました。その際、「作曲」という言葉を用いず、「生曲」という言葉を用いたのです。

なぜ「生曲」というのかについて、私の持っているCDの解説にはこう書かれています。

「音楽は単に一個人の作為によって出来るというより、宇宙の造化の営みが、仮に一人の人間を通じて発現するものであるから、曲を作る(作曲)ではなく、曲が生まれる(生曲)のだ。」

古典本曲が描く世界というのは確かに自然の真理的なものであり、人間はあくまで「預言者」的な存在なのだというのは納得がいきます。

曲が生まれるべくして生まれるって素敵ですよね。

そ・れ・な・ら・ば

現代において古典スタイルの曲が全く生まれないのは不思議な気もします。明治期までで古典スタイルは出尽くして今では発現することがないのか?

私はそうは思いません。

仮に西洋音楽におけるクラシックやジャズのようにジャンルの違いとして現代曲も古典もそれぞれ発達してきていれば、お互いもっと発展したのでは…と思います。

そもそも古典と現代曲のようにジャンルとしてでなく、新旧で分けてしまっている時点で両者の共存は前提とされていないような気もします。特に日本人の場合、新しい文化を広く受け入れ、その代わり共存は許さずあっという間に新しい文化へシフトするというのが歴史を見ても明らかだと言えます。

民族性といえばそれまでですが、何百年も続いてきた「歌物」の文化が風前の灯火となりかけているのは悲しいものです。

まだまだ古典スタイルの曲は生まれたがっていると私は思います。

とまあ最近なんとなく思っていたことを文字に起こしてみたのですが、具体的にどうすればいいかと言われても、その答えというのは見つかっていません。が、音楽産業が資本主義における商品となってしまうと偏りが生じてしまうのかなと…なかなか難しい話です。

今月はこんなところで。

余談ですが、わたくし無性に旅に出かけたいのですが、今年の夏は遠くに行く予定がありません…その発散?として近々旅行記でもこのブログで書くかもです(笑)たまには邦楽からそれた物もいいですよね…( ◠‿◠ )

ありがとうございました。

 

 

いとたけ考 7月

早いもので今年も半分が過ぎようとしています。

私の任期も折り返しを過ぎましたが、まだまだやることが多い~!

今月は部内のおさらい会として9日に七夕コンサート(通称たなコン)を行います。1年生のデビュー戦でもあるので部内はたなコンムード一色といったところです~

今月の話題なんですが、ひとまず邦楽からはちょっと離れて。

古典落語の「芝浜」という演目をご存知でしょうか?

この芝浜はなかなかの大作で、一席演じると50分かかります。三曲の大曲である八重衣や融ですら30分ですから、その倍近い長さなんですね。話の筋は古曲の歌詞と違って全部書いてしまうとネタバレになってしまいますから書きませんが、「夫婦の情愛」をテーマとしたものになっていて、笑い話というより感動できる話です。多くの落語家が演じていますが、今は亡き5代目三遊亭圓楽さんが最後に演じた作品としても有名です。

僕は前から芝浜が気になっていて、6月頭のテストが終わった休日に自室でようやく聞くことができました。せっかくだったので違う噺家のを2作品一日で聴くという、なんとも贅沢な一日を送ったわけです(笑)

話の内容に感動したのもさることながら、50分にわたる上演で1分たりとも気が反れることはありませんでした。これぞ名人芸だなと思うわけですが、話し相手を50分間ずっと飽きさせないってすごいと思いませんか?

落語を聴いていると、だいたいどの話も同じようなテンポで展開されているような気がします。このテンポこそが飽きずに話の世界に引き込まれるものなのでしょうか。

日本の文化は「間」がキーポイントになってきます。この間がいかに上手く扱えるかが上手い下手の、面白いつまらないの分かれ目だと僕は思っています。

舞台で独奏をするとしましょう。

自分としてはいつも通り演奏しているつもりでも、その時って鼓動が速くなっていることが多いんですね。すると自分が体感する「間」というのが通常よりも速くなっているのです。サークルのお稽古でよく先生が「いいか、お客さんも一緒に呼吸しているんだぞ。もっとたっぷり間を取りなさい」と指導して下さいます。お客さんは通常モードの「間」で聴いているわけですが、緊張している演者とお客さんのあいだで間がずれてしまうんですね。物理でわずかに異なる周波数をぶつけると、うなりという現象が見られますが、まさにそんなところでしょうか。

落語と同じようにお客さんに「聴かせる」演奏にするには、まず「間」の研究からしなければいけないなと思いました。

三代目桂三木助は「落語とはなにか」という問いに「落語とは絵だ」と答えました。

お客さんに情景をしっかり想像させるのも噺家の腕なんですね。

ここ何回かにわたって古典の出典背景を書きましたように、古曲にもストーリーがあります。これをお客さんに伝わるような演奏ができれば…と思うのですが、音楽である以上感性に訴えるしかありません。どんなふうに演奏すれば感性を刺激することができるのか、情景を描写できるのか…究極の目標ですよね。

古典はただ楽譜を演奏するだけでは長くてつまんないただ古い曲でしかありません。落語を台本読みながら棒読みしているようなものです。そりゃつまんないですよ。

落語を聴きながら、古典を練習するうえでの目標が新たに見つかった6月も、このブログを書いている間に終わりました(笑)

さて、2017年下半期突入ですね。

いとたけ考 6月

みなさまこんにちは。会長です( ˘ω˘ )

いかがお過ごしでしょうか?

あっというまに5月も終わってしまった感じがしますが、新歓もほぼひと段落し、ようやく落ち着くかなぁと思う間もなくテスト期間。

千葉大学では去年からターム制になり、今は期末テスト期間なのです( ◠‿◠ )

それは置いておいて、新歓を経て紫千会も84という、とても規模の大きいサークルに成長しました。

先日は新歓ハイクとして大きな公園にバーベキューに行きましたが、楽しい楽しい!

バーベキューの時間までは広場で警ドロをやったんですよ。あ、これ地域によって名前が違うみたいですね。僕の出身小学校では警ドロでした。知らない方のためにどんなのか説明しますと、要は鬼ごっこです。

何年ぶりですかね…?たぶん小学校以来かな。それでも楽しいものは楽しい!

今まではインドアイベントが多かったうちのサークルですが、新入生とてもアクティブでした~!

若い人には負けない!と無茶した結果、案の定翌日筋肉痛でした。_("_´ω`)_ペショ

 

さて、今月の話題ですが、まずはこちらをご覧ください。

 

 

 

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能面です。いきなりなんだよ!って感じですよね…

というか、じっくり見るとなかなか怖いもんです。

余談ですが、2枚目の般若のお面、うちにあるんです。妹が僕に修学旅行のお土産に買ってきたんですよ。意味が分からなかったですね。

 

で、なんで能面を出したかといいますと、古典曲の中には能と同じ題材のものや、能から生まれた曲がとても多いんです。今月はこのテーマを掘り下げていきたいと思います。

ですが、僕能についてはほとんど知識がないのです。つまり

アイドンノウ(能)!なんちゃって…(^^;

いつか生で見て見たいんですがね~

千葉大に能のサークルがないのも残念です。

古曲と同じタイトルや内容の能は、例えば

桜川、葵の上、小督、西行桜、俊寛、石橋、道成寺、熊野などなど

小督は先月お話ししましたね~

能由来の曲は僕の好きな曲であることも多く、なかでも融という曲が好きです。

読めますか…?

これで「とおる」って読むんです。

これ実は人の名前なんですね。

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↑この人です。正しくは源融っていいます。平安時代の人で、左大臣でした。

実は光源氏のモデルともいわれています。

この融の話、けっこうおもしろいのです。

能でのあらすじはこんな感じ。

ある晩、旅の僧が六条河原の廃墟を訪れると、潮汲み桶を持った老人が現れる。海もないのにどうしてそんなものもっているのかと尋ねると、ここが融の旧屋敷で、生前融は宮城県塩釜の美景を庭に再現し、海水を運んで塩まで焼かせていたという。しかし、融の跡継ぎはおらず*1、今ではすっかり荒れてしまったことに老人は涙を流した。

その老人は僧にいろいろ案内したあと、潮を汲みながらいつのまにか消えます。

そこにやってきた近所の男は、さっきの老人は融本人の霊ではないかと僧に教えた。

すると、そこに生前姿の融が現れます。月の光に照らされながら、生前のように舞を舞うなど遊興をして、明け方月に帰っていく…という話です。

死生観や諸行無常などいろいろなものが詰まってますよね。また、生前の生活への未練といいますか、そういうものも感じられます。

 

古曲では同じ「融」というタイトルで、作曲は石川勾当。難曲ばかりを少量残して、しかも生没年不明という謎多き人です。融は八重衣、新青柳と並ぶ石川の三つ物とされていますが、演奏される機会は3つの中では少ない方です。

 

演奏時間も30分弱という、古典の中でも大曲で、歌詞は能の融からほとんど移植したようです。曲の途中にメロディーを伴わない歌だけの部分の語りがあって、ここはまさに能を彷彿させます。生田流でも九州系、富筋、宮城と系統によって歌い方も違うので、聴き比べるのも面白いですね。

尺八は前弾き~前唄~手事まで二尺管を使います。前唄はとても低いんですよね。手事の途中で一尺八寸管に持ち替えて、以降最後まで使います。この持ち替えも一瞬でやらなければならないので、尺八奏者の腕の見せどころでもあります。

石川勾当の曲はやはりどれもむずかしいですが、融も特に手事のところが難しく、石川作品に多い手事の緩急あるフレーズも合わせるのが難しそうです。

長い曲なのでなかなかなじむのが大変ですが、歌詞の意味や背景などを考えて聴いているうちに、とても聴きごたえのあるいい曲だということがわかってきます。

 

僕も楽譜を手に入れたかったのですが、発行元が在庫切れ状態で、手に入れる手段が今のところ見つかりません…

 

ふた月連続で曲紹介になりましたが、こういった曲に少しでも興味を持っていただけたら幸いです。

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

(参考文献)

村上湛 能の見どころ p44~47 東京美術 2007年 

 

*1:融はもともと皇族であったが、臣籍降下し源姓に。後継ぎがいなかったのも政治的なものがあったようだ。